三つ栗の歌


香妙し 花橘は
上枝は 鳥居枯らし
下枝は 人取り枯らし
三つ栗の 中つ枝の
ほつもり 赤ら嬢子を
いざささば 宣らしな

かぐわし はなたちばなは
ほつえは とりゐからし
しずえは ひととりからし
みつぐりの なかつえの
ほつもり あからをとめを
いざささば よらしな

かぐわしい 花橘の
上の(柔らかい)枝は 鳥がいて狩り
下の枝は 人が取り狩り(狩り=眺める)
(木の)三つの部分の真ん中の枝の
若く柔らかい枝が広がる
(ようにすくすくと育った)
赤ら乙女を
口説き その気にさせればいいじゃないか

(古事記 応神天皇条)

いざ吾君 野に蒜積みに我が行く道に
香ぐはし 花橘
下枝らは 人皆取り
上枝は 鳥居枯し
三つ栗の 中つ枝の
ふほごもり 赤れる嬢子
いざさかばえな

いざあぎ のにひるつみにわがいくみちに
かぐわし はなたちばな
しずえらは ひとみなとり
ほつえは とりゐからし
みつぐりの なかつえの
ふほごもり あかれるをとめ
いざさかばえな

さあ我が君 野に蒜をつみに行く道に
香しい花橘
下の枝らは 人がみな取り
上の(柔らかい)枝は鳥がいて狩り(眺め)
(木の)三つの部分の真ん中の枝の
満開の花が広がる(ごとき)赤れる乙女
を口説き 熱い想いを伝えなさいよ

(日本書紀 応神天皇)


この歌は、応神天皇が宴席の場でかねてから大鷦鷯尊が想いを寄せていた髪長姫に、酒を盛った柏の葉を持たせてそれを彼に与えさせて歌ったとされる(日本書紀では、姫を呼び寄せておいて、応神天皇が大鷦鷯に彼女を指さしながら歌ったものとされている)。

「ささがねの蜘蛛」
(田中孝顕著 幻冬舎 2008.12.25 第一刷発行)
第一章 第六項( p.95~p.104)より引用

『ささがねの蜘蛛 味不明の枕詞・神話を解いてわかる古代人の思考法』田中孝顕 | 幻冬舎 (gentosha.co.jp)


こちら、ドワーフ・プラネット(3匹の魚) (the-wings-at-dark-dawn.com)

こちら、ドワーフ・プラネット(銀の魚) (the-wings-at-dark-dawn.com)



「向こうの浅瀬に、神の池がある。そこには小さな魚(スフルマシュ)が一匹、水草を食べ、それより大きな魚(キントゥル)が一匹、ドングリを食べ、一番大きな魚(ギシュシェシュ)が一匹、跳ねまわっている。そして池の水際に生命の木タマリスクがあり、更にそのほとりに一本だけ孤立したタマリスクがある。王がアラッタに勝つためには、その池を見つけ、離れて立つタマリスクを切り倒して器を作り、一番大きな魚を入れて神々に捧げなければならない。そうすればウルクの力が勝り、アラッタの力が衰える。ただ一つ、王が心に留めなければならないことは、アラッタを討ち滅ぼしてはならない、ということ。もし王が、アラッタの彫刻品や、それらを作った芸術家や職人を護り、更に、戦いで傷んだアラッタを復興させるならば、そのとき初めて、エンメルカルは大王として勝利と祝福を得られるでしょう」

ルガルバンダ – Wikipedia より 女神イナンナの謎かけ


古事記の「三つ栗の歌」について
古語を解釈する本を読んでいて、ふと
古代中東シュメール神話に登場する
ルガルバンダ王子と女神イナンナの託宣(謎かけ)
について、連想した。
「三匹の魚」というモチーフについて、
あれこれ思いをめぐらして
「三相女神」のことだろうか、など
ここ十年来いろいろ考えてきたのだが……
もしかしてこれは
敵対国アラッタとウルクが和睦を結ぶため、
年若い末っ子の王子ルガルバンダに
アラッタの王女を妻に迎えなさい、という
政略結婚をすすめる「謎かけ」ではあるまいか。

若者に乙女を引き合わせ、婚姻をすすめる歌や
「謎かけ」などの系譜が、
他の時代や国・地域にも残されてはいないだろうか?
(気になったので、メモしておく)


ささがねの蜘蛛(田中孝顕 著) – あかり窓 (memoru-merumo.com)


“三つ栗の歌” への1件の返信

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です