さらばとせ


なぜこんなことになったんだろう。 
くやしい。 
あるひ、ぼくのむらに、くろい「かげ」が、
のしのしとやってきた。 
くろい「かげ」がとおりすぎたあとは、
はいいろのあれちになった。

とうさんとかあさんとぼくは、
くろい「かげ」から、にげににげた。 
たどりついたみしらぬまち、
みしらぬがっこう、すみなれぬへや…… 
そして、このむねいっぱいの、
はいいろのもや。 
みんな、まえとはちがってしまった。  

だれかがドアをたたく。 
あけるものか……
おまえ、くろい「かげ」だろう? 
ぼくのポケットには、ドアのかぎ。 
とうさんとかあさんは、でかけてる。 
るすばんのこやぎみたいに、
ぼくはかくれる。 
すみっこへ……もっとくらがりへ…… 
やがて、みしらぬもりのおくへと、
どんどん、どんどん、にげていく。
「トントン、あけてください」 
あけるものか……あけるものか。

てのひらに、あかいテントウムシが
とんできて、とまった。
「なぜ、ないてるの」
「ドアをあけたくないんだ、だれにも」 
すると、テントウムシはいった。
「そうか、それじゃ……
もっともっと、おくまでかくれちゃおうか」 
テントウムシがとんだ。 
ぼくは、あとについていく。 

おおきなほらあな…… 
よくみたら、やまのような
カタツムリのから。 
からっぽのあなから、
すいこむようにかぜがふく。
「これはね、おおむかし、
いしになったカタツムリだよ」 
ものしりがおのテントウムシが、
くらやみであかるくひかった。
「なぜきみ、ひかるの」 
たずねると
「だって、おてんとさまのムシだから」
と、ピカピカすましてとんでいく。 

まってよまって、テントウムシ。 
くらいくらい、うずまきめいろ。 
おくへおくへとたどっていくと、
いきどまりのひろばに、
くろぐろひかるぬまがあった。

ぬまのほとりに、おおきな木がいっぽん。 
サラ・サラ……サラバとこずえがゆれる。 
サラ・サラ……サラバとこずえがうたう。 
木の葉がサラサラ、こころはゆらゆら。 
ぬまのほとりに、ちいさな舟がいっそう。 
みなもにゆらゆら、ゆれている。 

サラバって、サヨナラのこと? 
なぜ、サラバだなんてうたうんだ。 
ぼくは、いつだってふるさとにかえりたい。 
ドン、とみきをこぶしでたたいたら、
はらっと木の葉がいちまいおちた。

「サラバの木の葉は、ハガキの葉だよ。
葉っぱに『てがみ』をかいてごらん」 
テントウムシがいった。
「なにをかくの。だれにかくの。
ペンさえもっていないのに」
「ポケットのかぎをつかうんだ」 
おしえられて、
かぎのさきっぽをペンがわりにしたら、
木の葉にゆうやけいろのもじがうかんだ。 

「ふるさとのともだちにあいたい。
いっしょにあそびたい」
「あたらしいともだち、あたらしいせんせい、
みんなやさしいけど、ぼく、たのしくない」
「いっぱいがんばっているのに、
もっともっとがんばらなければならないのかなぁ」 
ゆうやけいろのもじが、うかんではきえ、
やがて木の葉はこがねにそまると、
ひらっとかぜにのって、
なみまの舟にまいこんだ。 

舟のそこには、こがねの葉が、
たくさんたくさんつもっていた。 
葉と葉がふれあい、
かぜでこすれてサラサラうたいだす。 
サラサラ……サラバと舟がゆれる。 
サラサラ……サラバと舟がうたう。 
こがねのひびき……
ぼくは、いつだって
ふるさとにかえりたい。 

さらばと さらばとせ  
しずかにわたって  
こがねのゆうびん  

はっとした。 
ああ、これは、
ぼくのふるさとのわらべうた。 
どうして、いままで
わすれていたんだろう。 
そのとき、ドプンと舟がうごいた。 
ぬまのみずが、なみだった。 
テントウムシがさけんだ。
「いまのきみのうたで、
みなぞこの門がひらいたよ。 
かいを、しっかりにぎって!」

ぼくは、りょうてでかいをにぎり、
ぐんぐんましてくるみずのちからに
まけないよう、がんばった。 
サラバの木がざわざわゆれ、
葉のあいだからたくさん、
ぶきみなシャクトリムシが、
いとをひいてたれさがった。 
おおきなガが、
おどかすようにとびまわった。 
はいいろのもやが、ぬまをつつんだ。

くろい「かげ」が、このぬまにも、
のしのしとやってくるかもしれない。 
ふいに、ぼくはこわくてたまらなくなった。 
うずまくみずに、
にぎったかいをうばわれそうになった。 
そのとき……
「このこを、おねがいします!」 
木のうえから、こえがひびいた。 
きんいろにかがやくまるいものが、
舟にポトンとおちてきた。 

それは、つつのようにまるめられた、
サラバの葉だった。
「オトシブミのたまごだよ。 
葉っぱのゆりかごにくるまれて、
ねむっているんだ」 
テントウムシがいった。
「オトシブミ?」
「そう。オトシブミっていうムシはね、
たまごをうみつけた木の葉のゆりかごを、
まるめた『てがみ』みたいに、
木からおとすんだ」 
ぼくは、ちょっとかんがえた。
「じゃ、さっきのこえは、
オトシブミのおかあさんだったのか」

あかちゃんがあんぜんにそだつように、
木の葉のゆりかごをつくり、
たまごをうんで、てばなした、
おかあさん……   

さらばと さらばとせ  
しずかにわたって  
こがねのゆうびん  
おにのしらぬうちに  
はいよ  

こがねのゆりかご、ねむるたまご。 
この舟を、ぬまにしずめちゃだめだ。 
舟のかいをにぎるのは、ぼくだ。 
ぼくは、うでにちからをこめた。 
ぬまのみずがあふれ、
かわになってほとばしり、
ぼくの舟はカタツムリのほらあなを、
ぐるぐるながれくだった。 
舟ぞこにつもったサラバの葉、
しるされたたくさんの『ことば』が、
ぼくをとりまいた。

「いま、しりたい。
くろい『かげ』とはなんなのか」
「くろい『かげ』にであって、なくばかり、
あわてるばかりだったけれど、
もうなかない。あわてない。
このできごとを、だれかにつたえたい。
そして、だれかのやくにたちたい」
「ふるさとには、いまだってかえりたいが、
それでもこころのもやは、はれてきた」 
きこえてくるのは、だれかのこえ。 
ぼくとおなじふるさとをもつ……
だれかのこえ。 

「いつまでもけんこうで、
ゆめにむかってがんばれますように」 
このこえは、もしかしたら、
ぼくのだいすきな、あのこかもしれない…… 
こがねのひかりが、ぼくをつつんだ。 
テントウムシがあかくきらめき、
てをふった。 

「トントン、あけてください」 
だれかがドアをたたく。 
はっとして、ドアをあけると、
ぼくのまえには、
あかいバイクのゆうびんやさん。
「そくたつです。てがみもついでに、ハイ」 
とうさんかあさんあてにまじって、
ぼくへのてがみがいっつう…… 
あのこからだ。
「いまのまちでも、
げんきにくらしています。 
もうすぐうちに、あかちゃんがうまれるよ」 
なつかしい、やさしいもじだった。 

あ、ドアのそとにあしおと…… 
とうさんとかあさんが、いまかえってきた。
            
                


(2013/1 初稿)
(2015/8/15 加筆)
the-wings-at-dark-dawn.com より


「さらばとせ」黎明のほのかな翼 (the-wings-at-dark-dawn.com)


さかのぼる船


さかのぼる船
荒れ地をさかのぼる

嘆きを食べる風
船腹を空にさらし
低く地に横たわる

帰らなければよかった
帰ればよかった
土砂を飲まされた学び舎
海に呑まれた家また家
あの子はどこに、どこに帰る

影たちはさまよう
わたしはまよう
どこまで続く静寂
どこまでいけばよいの?

さかのぼる船
荒れ地をさかのぼる
空に押し出され、地を走る海

見たこともない景色を見ている
いつか来る
いつか来た
その道の途中
深海と空がつながる道で……


(2012/3/11 旧ブログ・アーカイブより)


無限ループ

1.これは、雲。

2.これは、雲から降った雨。

3.これは、雲から降った雨にぬれた草。

4.これは、雲から降った雨にぬれた草を、食べた牛。

5.これは、雲から降った雨にぬれた草を食べた牛の、

  ミルクをしぼっているお百姓さん。

6.これは、雲から降った雨にぬれた草を食べた牛の、

 ミルクをしぼっているお百姓さんのために

 料理をつくる、おかみさん。

7.これは、雲から降った雨にぬれた草を食べた牛の、

 ミルクをしぼっているお百姓さんのために

 料理をつくるおかみさんの、一人息子。

8.これは、雲から降った雨にぬれた草を食べた牛の、

 ミルクをしぼっているお百姓さんのために

 料理をつくるおかみさんの、

 一人息子がつとめている、原子力発電所。

9.これは、雲から降った雨にぬれた草を食べた牛の、

 ミルクをしぼっているお百姓さんのために

 料理をつくるおかみさんの、

 一人息子がつとめている原子力発電所から

 立ちのぼる雲。

 (もくもくと立ちのぼる、大きな雲…)

10.これは、雲…→1.へ戻る&繰り返し

 
(2011/7/22 旧ブログ・アーカイブより)




初心にかえる


「そういえば2011年は、
震災前に原稿用紙3枚の童話を
1つ書いてみただけ。
震災後は、まったく手つかず。
これから1ヵ月に1篇でいいから、
花のスケッチに妖精さんを組み合わせて、
何か短い詩や童話を添える。
出来れば、童謡や手遊びと絡めて……」

2012年のFacebook投稿。
気づけばこの願いは実現。

童話を原稿用紙に清書するもの、
と捉えていたから書けていないと
悩んでいたけど、ブログ投稿で
メルヘンぽいものはUPしてた2011年。
言葉を失いがちでお絵描きに
癒しを求めてたあの頃。

ウェブサイト作りが遅々として進まない、
童話(シノブくん)も手つかず。
でも、日常に根付いた夢もあった。

日常に根付いた夢(実現した願い)は、
日常ゆえに「あ、夢がかなった!」とは
気づきにくい。
でも、昔のメモをみると
多くの願いは実現している。そして
実現した頃には、それを夢見ていた頃の
自分を忘れている。

ゆっくりでも夢にそって暮らしたい。
10年後の自分は絵が描けているのかな?

(2021.2.7 Twitter より)


2012.7.10  Facebook
印象的な夢はメモする習慣で、
メモ帳はいつも持ち歩く。
震災前にも夢を見ていた。
(2011.3.8 震災3日前早朝)
1年間、俳句の修業が必要と告げる夢。
見たこともない魅力的な本を手にしている。
地火風水の妖精譚の短編集。
1冊の本にしおり紐たくさん。
影絵調イラストたくさん。
中央のページを開くと草花の野が飛び出す、
仕掛け絵本。
古くない、どこかキッチュ、
外国の翻訳本、お洒落で貴族的……
最後の一行は
「妖精の物語を集めて書きとめなさい」
俳句?妖精?
(追記)方向を模索しつつ迷い路の途中。
ウェブサイト・SNSは、しおり紐の多い書物かも。

(2020.1.27 Twitterより)


松尾芭蕉の句集でも読もうかなあ。
そういえば、学生時代以来、俳句なんて無縁。
夢のお告げの要点を、完全に無視してきた年月。

あ、そうだった。
俳句の風情を物語にとりいれようとしたのが、
シノブくん短編だったっけ。

(2020.1.27 Twitter より)


いつかの夢の中で手に取った
絵本の印象は、まだうっすらと
感触が残っているような……

当時のメモ「お洒落で貴族的」
という言葉と裏腹に、
似た感触の絵本として、
シルヴァスタイン「歩道の終るところ」
岩波少年文庫「少年の魔法のつのぶえードイツのわらべうた」
を思い浮かべる。
なぜだろう……

なぜか宮沢賢治の童話集ではないのだった……

ただの夢の名残だから、
なぜという理由はなくていいのだけれど。

( 2020.1.27~28 Twitter より )


小正月。 これから1ヵ月ほど寒さの底。

霜柱
小人がつくった
氷の宮殿

『子供の科学』って雑誌に送ったら、
誌面掲載されて子科バッジが届いた。
たぶん段ボールの宝箱にまだ埋もれてる。
短歌でもなく俳句でもない、なんだったろ?
この路線が何十年たった今も 向いてるかも、
と? ふと思い出す。

(2021.1.15 Twitter より)


ようやくスタートライン……かな?

(2021.2.17 Twitter より)